趣味が悪くて大変よろしい

 パチン。
 軽い音が室内に響き渡る。部屋に居た2人の男の内、黒髪の青年の方が僅かに目を眇めて息をついた。
「相変わらず、容赦ない攻め方をしますね、貴方は。」
 対するのは、30歳前後と思しき目つきの鋭い男。青年の言葉に、表情一つ変えず応ずる。
「あなたが、弱いだけでは?」
「手厳しいなあ。言っておきますが、貴方が相手の時くらいですよ。まあ嫌いではありませんけど、ね。」
 青年の言葉に男が初めて表情を見せた。口端を上げ、嘲笑に限りなく近い微笑を形作る。続く言葉もやや弾んで聞こえただろうか。
「趣味の悪いマゾヒストだ。」
「前半は同意します。」
 青年もくすりと笑う。徐に顔を上げ、それまでのどこか困ったような口調とは裏腹に、楽の一文字で彩られた言葉を紡いだ。
「そもそも貴方方と関わること自体趣味が悪いとは自覚してますよ。それも、取引相手に貴方を選んでるなんて。」
「私を選んでいる、とはまた大きく出ましたね。その心は?伺いましょう。」
「粟楠に拘る必要が僕にはない。」
「ほう。」
「これからも、宜しくお願いしますよ。僕が選んだ人間なんですから。」
 青年の言い様に男は微かに息を吐いた。纏う空気が少し変わったようだった。穏やかな春の陽気から、冷たい冬の鋭さへと。滑らかに、自然に、変化の瞬間を感じさせることなく。
「ああ、全く私も趣味が悪い。」
 男の視線が険を帯び、青年の目を射抜いた。
「お前みたいな巫戯けたガキに付き合ってやってるとは。」
 三秒程の間を置いて、青年が漸く口を開いた。形作られた笑みはやや強張り、額にはうっすらと冷や汗が浮かんでいる。
「…睨まないで下さいよ。」
 それでも口調から楽は消えていなかった。
 男の方は先程の空気が嘘であったかのように鋭さを霧散させ、再び穏やかな空気と共に柔らかな笑みを浮かべる。
「睨んでいるなんて人聴きの悪い。」
「睨んでいた、でしょう。僕も少々言葉が過ぎました。」
「別に私もあなたが情報屋でいる限りは何もしませんよ。」
「肝に銘じておきましょう。」
 室内の緊張感が消失し、再び沈黙が2人を包み込んだ。パチン。パチン。と、軽い音が数度繰り返され、ややあって男の方が言った。
「折原さん。この対局は持将棋にしませんか。」
 するとちょうど自分の玉将を指したばかりだった青年が顔を上げ、首を傾げる。
「構いませんが。」
「優勢なのは私の方だと言いたいのでしょう。良いんですよ、ちょっとした気紛れです。」
「仕切り直しても勝つ自信がおありだと。」
「それもありますが。いやね、簡単な話です。」
「と言いますと?」
「こうしておけば、次の対局の為に来るでしょう、あなた。」
「来て欲しいんですか?」
「解釈はお任せします。」
 男はそう言ったきり青年の問いには答えず、盤上の駒を片付け出した。青年は暫し無言で何か考えているようだったが、やがてゆっくりと口を開く。
「四木さん。伺ってませんでしたが、何故貴方が僕の管轄に?」
「答える前に答えて貰いましょう。あなたが私を選んだのは何故です?」
「分かってるでしょうに。」
「答えて下さい。」
「…人間が好きだからですよ。貴方に人間的魅力を感じた。貴方はどうも底が知れない。僕を子供扱いしたり、逆に厚遇したり。だから知りたくなった。それだけです。」
「あなたらしいですね。」
「褒められているのやら貶されているのやら。」
「少なくとも貶してはいませんよ。」
「褒めてもいませんか。そうでしょうけどね。」
 そこで青年は一度言葉を切り、今度は男の目を真っ直ぐに見据えて続きを口にした。その視線は男のような険こそなかったが、相手の心を見透かすような圧迫感を持って男に注がれている。
「さあ四木さん、今度は貴方の番ですよ。」
 しかしそんな青年の視線にも男は全く動じる様子はない。むしろその視線を待っていたとでも言うように笑みすら交えて青年を真正面から見返した。
 そして、たった一言。
「あなたに惚れたからですよ。」
 時間が止まったと錯覚するようだった。それ程に音も動きもない時間が数秒間続いた。破ったのは、青年。その押し殺したような笑い声。
「これだから、貴方は面白い!」
「悪趣味ですよ。我ながら。」
 男の台詞に青年は尚も笑い声を抑えきれない様子で、けれどはっきりと応えた。
「ええ、本当、お互いに」





25時様に捧げます。
食い合いの2人が好きです。
四木臨って難しいですね…!