In Paris』 サンプル

始まりは、数日前に遡る。

「イギリス、デートしよう。」

「はぁ?」

 アメリカがそんなことを突然に言い始めたのは、電話越しのことであった。イギリスは右手に持っていた受話器を左手に持ち替え、直前までやっていた書類のチェックを再開させながら重ねて問うた。

「なんで突然、そういう話になるんだよ。」

「突然って、むしろ今までしてないことの方がおかしいんだよ。」

 恋人同士なんだし。

 アメリカのその一言に、イギリスは思わず持っていた書類を取り落としそうになった。

「お前っ仕事中に変な事いうなっ!」

「俺は仕事なんてしてないし、それに変な事、はないだろう。事実じゃないか。」

「それはっ…それはまあ…そうだけど…そうだけどだな…。」

 言葉尻が萎んでいくのと時を同じくして、イギリスの視線も書類を離れ宙を彷徨う。動揺という言葉がぴったりだろうその様子が、アメリカの台詞の信憑性を裏付けていた。

 要するに、正しいのだ。イギリスとアメリカが恋人同士であることも、互いの家に行くことこそあれど、デートと称されるような行為をしたことがないことも、全て事実である。イギリスとしては、あまり観衆の目に触れたくなくて意図的に避けてきたのだった。何せ、同姓同士なのである。しかも力も体格もアメリカに劣るイギリスは所謂女役≠ナあり、その事実は彼の高いプライド上羞恥に十分値した。

 そもそも、なぜ二人が付き合うなどという突飛な人間関係になったかと言えば、それは彼らが歩んできた歴史に端を発する。人より遥かに長く生を刻む彼らにとって、人は恋を成就させる相手とは成り得なかったのだ。勿論魅力的な人間は幾らでもいる。イギリスがこれまでに好意を寄せてきた相手として最も成就に近かったのはエリザベス一世であったか、しかし彼と生涯を共にすると誓ってくれた彼女ですらも人間の頚木から逃れることはなかった。結局、イギリスは恋という精神的行為に本気で取り組むということを、彼女が亡くなってから長い間していなかった。

 そして、そんなイギリスとアメリカとを引き合わせたのは人間の営みに他ならない。人の営みにきまりなど有り得ない。それでも、イギリスに絶望を与えたのも、イギリスを救ったのもアメリカだった。これは最早運命にも近い。ファンタジーはともかく、メルヘンやロマンティックに然程の関心がないイギリスですらそう表現したくなるくらい、二人は引き合わされ、そして惹かれ合ったのだ。

 一度目の挫折は雨。二度目の挫折は戦場。三度目の正直はアメリカの差し伸べた手をとった時。きっと普通の恋人同士が体験するよりずっと複雑で長い遠回りをしてきたと思う。だからこそ、同姓だとか異性だとかという基準を飛び越えて隣に立とうと思ったのだ。正に運命に導かれるようにして飛び込んだ場所は考えていたよりもずっと居心地がよかった。アメリカに言ってやるつもりはないが、イギリスは長い長い時を空けて久々に、或いは初めて、本当の恋心というものを抱えている。惚れている、だなんて実に陳腐な表現だけれど、きっと正しいのだろう。

 しかし、それとこれとは話が違うのである。好きだからはいそうですねと捨てられるほど、イギリスのプライドは安物ではない。むしろどちらかと言うと高級品だ。ジョークにされることすらあるくらいに客観的にも、また主観的にも。

「だろう?だから、デートしようよ。」

「でも、今までそんなこと言ったことなかっただろ。思いつきでものを話すなよ。」

「思いつき?心外だなぁ、俺は今までだって一緒に出掛けようとはしていた筈なんだけど。」

「そ、れは…」

 アメリカの予想外の突っ込みにイギリスは思わず言いよどんだ。まるで自らの罪を追及されるミステリの犯人の心境である。

 アメリカの言葉は正しかった。前述のように、周囲の目に触れることを懸念していたイギリスは、アメリカの再三の誘いを何やかやと理由をつけて避けてきていた。

 歯切れの悪くなったイギリスに痺れを切らせたのか、アメリカは更に畳み掛けるように電話越しでまくし立てた。

「正直、あれだけ避けられたら流石の俺でも黙ってはいられないんだよね。それとも、俺が恋人なのがそんなに嫌なのかい?」

「違、」

「嫌ならそう言ってくれればこっちだって考えるのに、君ときたら相変わらず趣味が悪」

「違うって言ってんだろ!」

 叫んでしまってから、イギリスはしまったと口を押さえた。部屋の外の人間に聞かれたかも知れない程大声で叫んでしまったからもあったし、何よりやはり、今の様子ではアメリカを調子に乗らせてしまうことがイギリスにはよく分かっていたからだ。

 アメリカは、はっきり言って単純な知能だけをとったならばイギリスの足元にも及ばないとイギリスは思っている。しかし、こと相手を挑発したり騙すテクニックに関してはそこそこの能力を持っている。イギリス譲りとでも言おうか、ヒーローを気取りたいなら使うべき能力でもないだろうに。まあ、それでもヒーローを主張するからアメリカなのかも知れない。イギリスにはそんな気にはとてもなれない。

 どうでもいいが、先ほどアメリカの口にした「流石の俺でも」とはどういう意味だろう。アメリカはもともと辛抱強いほうでもなければ謙虚なタイプでもない。あの言葉には大きな語弊がある。

「…ふうん?」

イギリスが、アメリカのやり口に乗せられてから冷静に戻る為にとりとめもないことを考えている間に、アメリカが、電話越しの表情が想像できそうなくらいしてやったりといった風な声で答えた。

「違うんだったら、外に出たって良いよね?恋人として、さ。」

「…なんでそこまで拘るんだよ。」

「だって、癪じゃないか。」

 イギリスの半ば諦めたような、呆れたような問いにアメリカは事も無げに答えた。

「恋人が自分と出掛けるのを嫌がったら、誰だって意地になると思うよ。」

「…ガキ。」

「君が年食いすぎてるんじゃない?」

「そんな年寄りに御執心とは、物好きだなアメリカ様もよ。」

「うん、自分でもそう思うよ。」

「はん。」

 無駄だとは分かっていたが、ここまで柳に風だといっそ清清しい。イギリスは電話の向こうにわざと聞こえるくらい大きなため息をついてみせた。どうせこれもまた意味など成さないのだろうが、イギリスの高いプライドがそうさせた。負け惜しみだと言って頂いても構わない。恐らくそれは正解だ。

 吐いた息を吸い込み、イギリスは観念してアメリカにこう答えた。

「分かったよ。」

「最初からそう言ってくれれば良かったのに。」

「お前は一言多いんだよ、馬鹿。」

「はいはい、じゃあ予定の話なんだけど……」

「……ああ、…うん、分かったよ。逃げねえっつうの。じゃあな。」

 苦笑交じりにそう言って、イギリスは電話を切った。高いと自負するプライドすらその形を潜めてしまうのだからアメリカも凄い。いや、そうまでしてアメリカと共にありたいと考えるイギリスの方がおかしいのだろうか。

(要するに、俺も物好きなんだよな。)

 とてもじゃないが、アメリカに物好きをからかわれる立場ではない。あんな質の悪い子供に本気で惚れているというのだから。

 でも、仕方ないじゃないか?

「運命、だもんな。」

 我ながら歯の浮くような下らない台詞をポツリと呟いた後、イギリスは机の引き出しから手帳を取り出した。

 言うまでもなく、デートの予定を書き込むために。

 

 

冒頭です。

最初は思いっきりバカップルで始まって、最後の方でシリアスに持っていく構成になってます。

ちなみに、米英なのにパリなのにはちゃんと意味がありますので。


最終更新日:2009/10/04